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Blog ブログ

2025.04.01

理事長ごあいさつ

平成11年8月、2人目の子ども「花」を早産で出産しました。体重は900gでした。NICUでお世話になり、2,000gになったところでようやく退院できました。自宅に帰って早速ミルクをあげようとすると、力の弱い花はなかなか自力で飲むことができず、少し飲めたと思っては息が止まり、みるみるうちに顔色が紫になっていきました。幸いにも県立こども病院の近くに住んでいたので、まだ幼かった兄の健太郎と花の二人を車に乗せ、赤信号でも突っ走って病院に駆け込む日々でした。入退院を繰り返しながらも花が二歳を迎えたある日、ドクターから「あなたの娘さんは一生歩けませんし、一生話せません」と身体と発達に重い障がいがあることを突然告げられました。相談できる人もおらず、知識もない私はどうして良いのか途方に暮れ、育てていけるんやろか・・と不安になりました。

歯医者さんに行きたくても、花を誰にも預かってもらえず薬を飲んで誤魔化していましたが、とうとう治療が必要なほど悪化し、行政が行なう「日中一時支援サービス」というものがあることを知って初めて利用することにしました。

治療を済ませて迎えにいくと、花の顔はヨダレでベトベトになったまま、おむつはオシッコパンパンの状態で、独りぼっちでテレビの前に寝かされていました。「あぁ・・しばらくの間このままの状態やったんやなぁ」と感じました。「花・・ごめん」と自分が悪いことをしたような、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。

この経験から花を預けることができなくなってしまい、まだ小学生だった兄、健太郎の参観日も運動会も最後まで見てやれず、健太郎が一生懸命、母親である私の気を引こうとおどけたり、学校での出来事を話していても、私のエネルギーは全て身体の弱い花に注がれていて、まとわりついてくる健太郎が時には鬱陶しく感じることさえありました。

ある日、区役所の方からヘルパーさんを派遣してもらえるサービスがあるということを教えてもらい、一人での子育てに限界を感じていた私は、思い切って居宅介護サービスを利用することにしました。しかし、やってきたヘルパーさんは、障がいのある子どもへの関わり方がわからず、花が流すヨダレが手に付くと途端に怪訝な表情になり、小さな声で「きちゃないなぁ・・」と言いました。咄嗟に「すみません」と謝っていました。ヘルパーさんになるべく嫌な思いをさせないように気を配りながら、健太郎の躾もヘルパーさんの目を意識しながら厳しくしていました。自宅なのにくつろげるどころか、精神的にとても疲れるものでした。

それでもサービス利用料金を支払っていることに違和感があり、その事業所を辞めて三度事業所を変えましたが、どの事業所のどんなヘルパーさんが来ても同じようなことが起こり、満足のいくサービスは受けられませんでした。

ふと・・私のように、サービスを受けないと生活ができない人たちはどうしてんねんやろ?たとえサービスに不満があったとしてもそれを声に出すことはタブーで、利用者が遠慮しながらサービスを受けている・・。なんでこんなサービスしか受けられへんねんやろ?と思いました。そうか!ヘルパーさんが悪いんじゃなくて、高齢者の知識しかないから、この子たちのことが分からへんだけなんや・・それやったら私が障がい児専門の事業所を立ち上げて、子どもたちやお母さんにもっともっといいサービスを受けてもらえるようにしたらええねん!それが花と私の使命なんや!と、そう感じるようになりました。

そして、特定非営利活動法人 ヘルパーGOGOを立ち上げ、20年が経ちました。居宅介護から始まり、今では移動支援、児童発達支援、放課後等デイサービス、生活介護の5事業を行なっています。長くは生きられないと言われている子どもたち。その子どもたちが、人生の一分一秒でも多くの時間を笑顔で過ごせるように。そして、先の見えない不安を抱えて過ごしている家族に、少しでも明るい明日を見てもらえるように。その一心でこれまで駆け抜けてきました。

何の知識もない未熟な私を信じて、立ち上げから辞めずに付いてきてくれた理事、常勤、非常勤チーム、アルバイトの学生のみんなと、これからも重い障がいのある子どもたちの人生を少しでも深く見つめられるように、そして親子で楽しんでもらえるような支援ができるサービスを目指して、日々精進して参ります!